独りごと
楽しいこともたくさんあったはずなのに、辛い時のことの方が鮮明に蘇る。昔も今も変わらずに割と平穏に過ごしているけど、ふとした時に体の奥に刺さったトゲのようのものが顔を出す。そう、何もかも忘れてしまったような笑顔を振りまく彼らの存在を感じた時…
ふと静かになった時、頭の片隅に過ぎる人や場所があり、同じく私を思い返してくれる存在がある。多分、それだけでも十分すぎるくらい幸せで、満ち足りたことなのだ。
好きな事が好きと言えなくなってしまったのは、一体いつからだろう。 いつもまっすぐに自分の気持ちを伝えられたらいいのにね。
でも何が悲しいって、同じ言語を使っているのに通じることができない時。 本当の気持ちを伝えたら傷つけてしまうかもしれない。
空の様子がいつも同じなら、その下で暮らす私たちも同じ状態でいられるんだろうか。
暑くて眩しくてたまらないけど、あなたの存在はやっぱり必要なんだよね。光り輝くあなたを見ていたいもの、たった一時でも。
こんな夕日を見ていると、ソラは見上げるためにあるんだなあとつくづく思います。
ゆっくりと、ゆっくりと、新しい街に体を馴染ませる。そしてその小さな変化を、私は静かに観察するのだ。
もっと自由になっていいよ、繁った枝葉の向こうにある空がそう言っている。
もしも空に境界線があったらどうなるんだろう、と思う。
楽しかったり嬉しかったり、悲しかったり辛かったり、色々な記憶を経験してきているはずなのに、なぜか楽しかった記憶が思い出せないでいる。
出会いも別れも喜怒哀楽な出来事も、目の前の現象がやっぱりリアル(現実)なんだなと実感する。そしてガンジスは静かに流れる。
色々と雑音はあるけど、最終的には自分の好きを信じたい。
辛かったり悲しかったりしても どうしても表に出せなかったりする 多分出してもしょうがないからだと思う
これからどのくらいの出会いがあって そのうちどのくらいの人と交わっていくのかね たくさんの人と出会うけど 心に引っかかるのはとても少ない
お金が欲しいという人や、忙しくて時間がないという人にはよくすれ違うけど、実際に何とかしてそれを手に入れようと体を動かしている人にはなかなか会わない。
もうそんなに欲しいものや叶えたい願望はないと思っていたけど それはもしかしたら見て見ぬ振りをしていたのかもしれない 叶えるだけの努力や勇気、そして力が私にはあるんだろうか
寄り道ばっかりの人生だけど そうでもしないと気が済まないのか そうせざる得なかったのか 寄り道しながらそんなことを つらつらと考えていた
移りゆく季節の中で 変わっていくこと 変わらないこと 受け入れて、そして 手放して
本当のことを言ったら傷つけそうで ごまかしてみたら自分が苦しくて それはただ優しいだけなのか 意地悪なのか 誰か教えてください
いつも穏やかな水面も 大きな石やたくさんの小石が投げ込まれたら 雨が降ったり濁流が流れ込んできたら その静かな水面はきっと大きく姿を変えるであろう 人の気持ちや感情も同様に 他人との接触や関わり合いで小さく波を打ったり大きくうねったり 波風を立…
ふとこの瞬間だけでも 同じ空を見てくれていたらと思う そんなハノイの秋空の下 人気のない観覧車が遠くで揺れている
変わらないことの素晴らしさを噛みしめる
たぶんこれは終わりにして始まりなんだと思う まだまだ続くよ、きっと
あの道を歩かなければ 目の前にこの道は現れなかっただろう そしてこの目の前の道も 通り過ぎれば経験となり過去になる ずっとそんな事を繰り返して 人生は続いていくのかな、と思う
今こうやって歩いていることは自分の意思だっと勝手に思っていたけど もしかしたらそれは思い込みというやつで見えない何かのちょっとした魔法かもって最近考えてる
大きな太陽がゆらゆらと照らすガンジス川 気がつけば今日は冬至 時の移り変わりの早さに改めて驚く 色々と思い起こすことも多いけど 今ここに在る自分を大切にしたいと思う
何も考えずにただただ ペダルをただただ ただただ 漕ぎ続ければいい 前だけを向いて
何もしないで ぼーっとしているのが一番好き でも、ぼーっとするのと リラックスするのは違うなと 他人から見たらきっと同じかな ただの怠け者にしか見えないかもね
この瞬間が美しいと 思う時がある いくつもあったはずなのに なぜ思い出すのが こんなに難しいんだろう